2019年5月25日土曜日

名士


グラバーへの手紙

明治期の産業革命に貢献し、「日本近代化の父」と評される英国スコットランド出身の貿易商トーマス・ブレーク・グラバー(1838~1911年)。晩年、奥日光に別荘を建て、湖や川で釣りを堪能していたことは、県内でもあまり知られていません。
 グラバーは89年夏、51歳の時に初めて中禅寺湖で釣りをしたとみられています。その後は湖畔に別荘を建て、夏になると釣りに明け暮れました。

下野新聞

特集 記事

拝啓 トーマス・ブレーク・グラバー様
 青々と輝く水面と真っ白な帆が織りなすコントラストは、魅力を際立たせる情景の一つです。
 国際避暑地の全盛期には当たり前の光景でした。外交団の紳士が楽しむセーリングは、マス釣りと双璧をなす湖の象徴だったと伝わっています。
 1906年には英国大使を会長に、外交官で組織する「男体山ヨットクラブ」が発足。夏は毎週のようにレースを開き、35年には横浜のクラブと対抗戦を行った記録もあります。発足時にあなたは70歳手前。若いころに長崎の水上レースで活躍しただけに、きっと目を細めていたことでしょう。
 
 水上レジャーの文化は戦後、日本人が引き継ぎました。動力船の無秩序な利用で騒音などが問題になった時期もありましたが、県の主導で規制や船の削減が図られ、湖は本来の静かな環境を取り戻したといわれています。その効果もあってか、戦前とほうふつとさせる光景も戻ってきました。
 例えば最近熱心に活動する帆付きカヌー「セーリングカヌー」の団体は、かつての外交団と同じように上野島を折り返し地点としたレースを行い、全国から出場者が集まるそうです。秋山治は世界の湖を見てきたカヌーイスト。「中禅寺湖の景観は世界水準の素晴らしさ。避暑地時代のおしゃれな雰囲気がよみがえればもっと魅力的になる」と語ります。
 

Photos Y:Ohkubo

 
 雪深い湯元地区では冬季スポーツが盛んです。温泉街近くのスキー場は初中級者に人気ですし、光徳地区は地形が平らでクロスカントリースキーに最適。最近は手軽に楽しめる雪上歩行具「スノーシュー」への関心も高くなっています。
 美しい自然景観を誇る奥日光は、屋外レジャーにもってこいです。かつてあなたや外交官たちが優雅に遊んだという事実が、この地のステータスをさらなる高みに導いてくれています。




深読み

グラバー氏に関すること


スコットランド生まれのトマス・グラバーが、香港を拠点にする英国のジャージン・マセソン商会の代理人として、開港後1年の長崎に着任したのは1859年。弱冠21歳でした。ほどなくグラバー商会を設立、幕末の激動の中、他の貿易商人と競合しながら、西南雄藩に艦船・武器・弾薬を売り込み、1860年代半ばには長崎の外国商館の最大手になります。
1867年には岩崎彌太郎が土佐藩の開成館長崎出張所に赴任。グラバーは後藤象二郎や新任の彌太郎をグラバー邸に招き商談に取り掛かります。坂本龍馬たちも出入りしていました。グラバーは貿易にとどまらず、事業にも進出。肥前藩から経営を委託された高島炭坑に英国の最新機械を導入し、本格的な採掘を開始しました。また同時期、グラバー邸のそばに薩摩藩と日本初の洋式ドックを建設。そんなグラバーでしたが、一攫千金を狙うようになります。ところがグラバーが肩入れした西南雄藩は鳥羽伏見の戦いで一気に勝敗を決し、大規模内戦はなし。グラバー商会は見越しで仕入れた大量の武器や艦船を抱え、雄藩への掛け売りの回収も滞り、明治に入った1870年、資金繰りに窮して倒産します。しかしグラバーは、日本にとどまり、国際ビジネスの豊富な経験と多彩な人脈を活かし、ビジネスマンとして死ぬまで活躍します。高島炭坑は人手に渡り、間もなく官営化、後に後藤象二郎に払い下げられますが、石炭の国際取引に日本人は経験不足。グラバーは引き続き高島炭坑に地位を得ます。1881年、三菱が高島炭坑を買収。社長に次ぐ管事の立場にあった川田小一郎は言いました。「高島の石炭を海外へ輸出する采配はグラバー殿にお願いしたい。ただし炭坑の支配人である瓜生震とは納得ずくでやること。また、取引状況については、支配人経由で毎月本社に報告願いたい」。グラバーは答えます。「岩崎殿にお伝えください。必ずや満足いただける結果を出しましょう」。グラバーは石炭の国際取引を巧みにこなし、彌太郎の期待に応えました。その後三菱本社の渉外関係顧問に迎えられ、愛妻ツルと共に長崎から東京に移り住みました。
グラバーは彌之助、久彌にも、主に技術導入など三菱の国際化路線のアドバイザーとして仕えました。キリンビールの前身ジャパン・ブルワリーの設立にも参画。1908年には、明治維新に功績があったとして、外国人としては異例の勳二等旭日重光章を受章します。グラバーはまさしく19世紀の冒険商人。ロマンあふれる人生を送ったのでした。


なるほど

坂本龍馬とも・・・
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